死に至る疑惑・前編2008年09月01日

 付き合いの長い印刷会社のKさんと駅まで歩く。うちのボスの歳の話から私の歳の話になり、「じゃあSさん今年本厄じゃないですか」となる。そこから、厄年は自分だけとは限らず身近な人にも関わってきて、自分は子供が大火傷しましたなどという話になったが、こちらは全く意識の外にあったことを意識することになり、厭な話を聞いたなぁと思った。

 娘に何かあるくらいなら自分にあった方が良いが、とすると今罹っている皮膚病がそれならば、それで済むならそれに越したことはないなと考える。といっても治療の難しい難病などではなく、通常幼児の時に罹って免疫が出来て、大人は罹らないとされている水疣で(みずいぼ)ある。

 しかし1軒目の皮膚科は、処方した塗り薬で良くならなければもっと大きい皮膚科のある病院で診て貰った方が良い、などと言う。その時は随分自信なさげな医者だと思った。症状はしばらく経っても変わらないどころか増えたので、彼の言葉に従うというよりそこが信用できずに、いつも混んでいて通いにくいが地元では有名な名医へ無理して行った。

 その後、幾つかは塗り薬で消えたが、それでも少しずつ増えている。通院2回目の先週土曜に医者は一拍置いてこんなことを言った。

 「大人の場合、後はH●V感染で免疫が落ちているという可能性も考えられますが、検査されたことは?」

 目の前が暗くなるという表現があるが、実際にはそれほど暗くはならないんだなと思った。

 検査はだいぶ前にしたことがあるんだが。それ以前に、思い当たる様なこと自体がない。とはいえ10年20年潜伏したとしたら…などなど、ぐるぐると下向きスパイラルの思考に陥っていった。1軒目の医者の、あの怪訝な態度はこれによるものだったのか。


続く。


小隊司令部発

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