自転車の話なのかどうだか2008年12月01日

 強い向かい風に出端を挫かれながらも市街地を抜けて幹線道路に入る。初冬の真横から差す様な陽射しが路面のコントラストを強めて、路上を舞う大量の枯葉がまるで明滅する雪の結晶の様にも見える。

 前日の深酒が残っている様な時間でもないが、出掛けの怠さも20分ほど走る内にはなくなっている。まだ少しは身体が健全な証拠だろうか。万全のコンディションと充分な準備体操があればベストなのだろうが、そうでない場合でもそれなり楽しくは走れる。他のスポーツではこうはいかない気がする。ポタリングモードでの自転車をスポーツと呼んで差し支えなければの話だが。

 気になるのは身体ではなく車体の不安の方である。リアディレイラーの調整はまだまだの様な気がする。特定のギアがもたつく。そういう気がするだけで不具合と言う程でもない様には思うのだが、これは自分でワイヤーを替えたため「心許ない」という気持ちに因るところも大きい。フロントブレーキはシューの異音がしたので出掛ける前に軽く紙ヤスリを当てた。リアフラッシャーの電池はそろそろじゃないかなぁ。サイドの毛羽立ちが目立つようになってきたタイヤもそろそろ交換だろう。

 しかし走っていると、そういうのを忘れていることがある。何やら実生活みたいである。見積明日の午後までだなとか、子供の卒園準備の会の資料作らないととか、庭木の剪定いつ入ってくれるんだろうとか、酒場ではすっかり忘れている。酒場では大抵のことは忘れるか。

 多摩湖周辺は、埼玉のマラソン大会が近いためかこのところランナーで一杯で、周回部分もあまりスピードは出せない。それで週末は多摩サイに出たのだった。この日、真横から差すのは陽射しだけでなく、特に河岸の土手では強い横風が大してリムハイトの高くもないホイルに吹き付けて来てハンドルが取られ気味だった。

 まあ、いろんな事にハンドルが取られ気味の週だったのだが。


沈む陽を映す多摩川が、一日の内で最も明るい気がする。

読書 藤沢 周「雨月」光文社文庫(再読)

藤沢周は起承転結じゃないだろと思い込んでいる派としては、前半はともかく後半の展開は「これはサスペンスかよッ」な感じで、しかしそれも算段かいと思えば…、という話。ただしドラマ化の話があったとしてもご勘弁を。ちなみに某所で「雨月物語?」と聞き返されたが、実はどうもそれがモチーフの一部であるそうな。但し未読につきコメントなし(やれやれ)。


小隊司令部発

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