我が家の「重松 清」事情2017年04月25日

 この春、自転車で20分の通学から、電車で1時間になった娘。暇を持て余すのか急に本を読みたくなったらしい。ところが今まであまり自分で本を買ってないからなのか、「大学で買うのと本屋で買うのとどっちが安い?」などと訊いてきた。何だそれ。

 初めは副読本の話かと思って大学の本屋の方が揃っているだろうと言ったら、全然違うらしいことが分かる。何読みたいんだと訊ねると特定の作家の小説で、重松清なのだという答えだった。経営学部にゃ関係ないな。重松清なら自分が以前に続けて読んでいたので、文庫本なら結構な数がある。書斎の文庫用書棚の1段を越えるくらいなので…40冊はあるだろう。

 書棚から持って行けとは言ったものの、書斎で物色するのもしにくいかなと、手頃な段ボールにでも詰めて渡そうかと考えてアマゾンの箱に入れ始めたら半端で入り切らない。そうこうする内に娘が部屋に来たのだが、この状態では選べまいと思いつつも念のため箱を見せると、あれもあるこれもあるねと書名で探すので、ああ下調べしてたのかと改めて知る。買った本人がタイトルなんか忘れているというのになあ。

 結局「疾走」だか「ナイフ」だか厚めの奴(重松清の本は大概厚いが)を持っていった。同じ事を娘がツマに訊いたとしたら図書館に行けと言っただろうが、私の方は本は買わないと読めないたちなので、作家が合えばそれなりに持っているのである。まあ、合えばなのだけど。それにそれが例えば藤沢周とか言われたらちょっと戸惑うだろうが。

 しかしあいつは物の扱いが雑だからなぁ。文庫カバーを買ってこないと駄目か(またお父さんが買ってやる病か?)。取り敢えず本屋が付けてくる特殊紙のカバーをテーブルに置いといたら、翌朝包んで持って行った。ご了承らしい。

 いや、勿論、読後感までは訊かないって。18歳なんだし。

小隊司令部発

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