いつものではない通勤列車2010年04月26日

 やけに空いた列車に乗る。いつも乗る時間帯ではないから、その空き様がいつも通りなのかも知れないが分からない。

 ドアから2歩程の所に立つ。空いているとは言っても座席は埋まっているし、これ位が丁度良い間合いという気がする。

 鞄を棚に載せ、文庫本を左手に吊革に手を掛ける。鎖骨は折れたままで、まだ、左手で掴まるのは心許ないのだ。本来なら文庫は右手に持たないとページが繰りにくい。

 本を広げる前に、斜め前の座席にちょっとした違和感を覚えて視線を落とす。年齢以上に野暮ったい服装をした中年女と老婆。髪型も少しおかしい。田舎から来たというにしても何か変だな。しかしその違和感の正体はすぐに分かる。

 顔を上げた中年女は、真っ直ぐ前を見て韓国語で話し始める。確かに顔もそんな感じだ。こういうのは西洋人には判らんのだろうなと思う。

 それにしても長い独り言だな。頭がおかしいのか? 女が顔を向けている先を目だけ振って見てみると、同じ歳位の男が座っている。この男に話し掛けていたのか。20年前の釣り用ウェアみたいのを着て、大きなリュックを背負ったまま座っている。

 その後、女は抑揚のない韓国語でずっと喋り続けた。

 気持ち悪いな。

 韓国語が、じゃない。分からない言葉で延々話し続ける中年女が、だ。

 時々隣の老婆に話を振り、二三言葉を交わしたかと思うと、また前を前を見て話を続ける。

 通勤列車内の通路を挟んで喋り続けるのが韓国の習慣なのか? そんな訳はないだろうな。それにそういう人は日本人にだって沢山いるし、マレーシアだってベネズエラだって似たようなものだろう。どうでも良いが。

 西武新宿線ではなく、韓国の通勤列車やベネズエラの高山列車に乗っている自分を想像してみようとしたが、井荻通過中にそれを想像するのは難しい。いや、どこであれ同じ事か。


小隊司令部発

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