美味しい酒で幸せになれなかった話2016年04月17日

 美味しいものは人を幸せな気持ちにする。そして、美味しいもので人を幸せな気持ちにできる人は素晴らしいと思うし、偉いと思うこともある。

 しかし、美味しいものを知っている事自体は、その人にとっては幸せだろうが、それ以上でもそれ以下でもない。少なくとも偉いとは思えない。

 それと、「美味しい」の基準は人それぞれで、それは言い方を変えると「いつ誰が呑んでも旨いビールなんて、ない」ということだ。

 そこは最近通い始めようとしていた酒場。ゴールデン街にある他の店の様に日替わりでバイト嬢が立つが、店内を数匹の猫が彷徨くという点で希少な店だった。バイト嬢は驚くほど酒を知らず、注文にいちいち棚の位置を言わねばならない程だったが、皆礼儀正しくきちんとしていた。この店主の元になぜこんな娘たちがと不思議に思うほどだ。そう、店主がクセ者なのだ。

 カウンターにタップの立っていない店で「ドラフトは?」と訊くのは野暮だから私はしない。しかしある日連れが初めに生ビールと言ったところ「うちは生、やってないんですよ」と、ちょっと嫌味な口調で言われた。代わりに何を勧めるかと思ったら伊製のボトルビール。「これを飲んだら旨くて他のビールは呑めなくなりますよ」と強く勧める。しつこいので「1杯目だからさっぱりハートランド辺りが良いんじゃないか」と助け船出しというか会話を断つ。誰が1杯目喉潤したい時に度数8%のボトルビール呑むんだよ。これがウイスキーになると以下略の有様。

 とにかく勧め好き。何度か話を聞くと、営業心ばかりというのでもなく「珍しいから」「旨いから」と勧めているのは分かる。しかしいずれにしても要するに単なる自慢話なのだ。

 私に対してでないが「どこにでもある酒は他で呑めば良い」と仰っていたので、もう来なくて良いかなと思った次第。それを旨く呑ませるのがバーの仕事だろう。というか、旨い酒を不味く出してどうするんだ。

 彼女の接客は完璧だったんですけどね。
私の鞄で爪研ぐ以外は(www

小隊司令部発

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