今日は娘と映画に行った。過日の本欄でも書いているが、重松清原作の「きみの友だち」が公開された。
東京でも2館という規模ではあるが、公開前にはあちこちのメディアで取り上げられていた。なぜか皆「重松清」に「直木賞作家の」と付けていたのが可笑しかった。世間ではこの方がしっくりくるのだろうか。いや、それ以前に重松のコメント自体、あまり気が乗っていない風だったのが気になった。
図らずも初日のため舞台挨拶があった。と言っても監督とメイン3名の女優さん。重松清だったらなぁと思いつつ30分をやり過ごす。またイベントのプロットとして仕方ないだろうが、悪いけど私は女優さんの誕生日の話はどうでも良いんだがなぁ。
そして上映。そこから2時間5分。 …長い。物理的な話ではなく、長いんじゃないか? 中身の割に。
最近「西の魔女が死んだ」を劇場で観て大泣きしたという娘なので、私同様に原作を読んでいた妻は、ティッシュを山と持たせた。しかし上映時間の1/3が過ぎた頃に娘が「これは悲しいお話なの?」とキョトンとして訊いてきた。
皆さんご存じのこの私なので、「泣ける」かどうかは作品評価の判断材料ではない。が、しかし、あの原作でこれなのか?
引きの画角で長回し。山梨の風景の美しさが云々と公式サイトにも書かれていたのはこの手法を表現するための書き様なのだろうと醒めて見たくなるが、なのに絵自体は大して美しくない。
ドキュメンタリー風なのか揺れる画面や不安定なパンが目に付くが、構成自体にドキュメンタリー的客観性は何もない。原作では第三者としての語り手(原作では最後に主人公の婚約者であるとわかる)の視点が重要だったが、映画ではそれもない。
いや風景や構成以前にそもそも登場人物の心情が伝わってこない。原作を読んでいたから記憶と連想で少しうるっとは来たが、読んでいなくて心揺さぶられるものだったか? 小4の娘が退屈したのは、ストーリーを理解できなかったからではない。
舞台挨拶の監督の言葉が引っ掛かっていた。(原作の)光の部分を見て欲しいと。しかしね、そもそもそういう話じゃないんだよ。「乙女の友情を描く」とでもいう安っぽい薄っぺらなコピーが似合ってしまう。なぜ、あの2人は、2人だけだったのか? そしてシニカルな恵美のバックボーンは“オンナノコのイジメスパイラル”の表現なくして説明つかないだろう。それに較べたら“オトコノコの嫉妬”の話はおまけみたいなもので、ましてや佐藤先輩のエピソードはいらないだろう。
今回本欄はどう削っても字数オーバーにてご容赦を(これでも推敲したんだが)。ついでに謝っておくと、原作者世界に思い入れがあり過ぎるための酷評と思っていただければ。映画自体はひょっとしたらそう悪くはなかったのかもしれない。
|
最近のコメント