
沙苗の腕に半ば怖々と触れて、俺は「なあ」と言う。沙苗は「なに?」と振り向く。なにと問われて返す言葉はないから抱き寄せようとするのだが、彼女は身を捩り、そして半ば力ずくで体を引いた。
そして俺の顔も見ずに「お金貸してる男とは、しない」と言った。溢れ出そうだった俺の"気持ち"は、萎えてさっと引いただけでなく、逆流する下水のように不快な臭いと共に裡に吹き上がった。俺に返す言葉は何もなく、取るべき正しい態度はひとつも思い付かない。沙苗にしては上出来の台詞じゃないかと、自虐的に思う。まるで女の家に転がり込んだ無職の小僧に戻った気分だ。
寝室を出てダイニングに入った。昔観たフランス映画の、下水路の地下分岐点を思い浮かべてみた。いや、そんなもんじゃないよなぁ。そもそもフランス映画の下水路と、分譲住宅のダイニングルームには大きな隔たりがありはしないか? ともあれ、ダイニングルームというのは、うんざりした気分に浸るのに丁度良い場所だ。少なくとも下水路よりは良い。なぜなら酒がある。
そんなことをぐだぐだ考えながら呑んでいたら、いつの間にか前の小径を人が走る時間になっていた。空瓶はあいつの頭にでもぶつけてやれば良いか? ふざけた模様のタイルが敷き詰められた舗装路に血まみれになって倒れ込む女性ジョガーを想像してエロチックな衝動を覚えつつ、眠りに落ちた。
気がついたら昼。沙苗はいない。いないよなぁ、仕事だから。俺はと言えば、こうして郊外の建て売り住宅の、狭くて変な形のダイニングでお目覚めだ。予定はない。
そしてまだ心の中は下水臭い。俺にはリセットが必要だと考えている内に、麻美の事を思い出した。誰より俺を好きだと言っていた奇特な女。今思えば幻みたいだ。でも下水路の出口なんていうのは幻みたいな物じゃないか? とにかく、今の俺は麻美に逢わないとならない。

「石田頼子〜は3回読みましたよ」とふる君に言われたので「可愛いラブストーリーだったろう?」と言った。たまにはああいう話も思い付くんだよ。でもいつもはこういうのをグルグルグルグル書いては消してる次第。そういう次第。今回は3回連載。海外からスマートフォンで見てるとか言うんでなきゃ、とりあえず付き合ってくれ。
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