マルゴー・コブラの思い出2007年07月18日

 顔の見えないネット上でも「初めてのトイガンは何か?」を訊くと世代が判って面白い。トイガンと言っても、私が子供の頃はモデルガン以外のトイガンは全て銀玉鉄砲の類で、今のエアガンの様な物はほぼ存在しなかった。

 初めてのモデルガンは、マルゴー・コブラだった。と言っても「ああ、あれか」と分かるのは多分同世代までで、10代の読者にはわからないだろう。当時はモデルガンと言えば全て金属製だったが、そいつの機構は極めて単純な玩具臭いパーツ構成で出来ていた。姿形もコルトコブラを名乗るものの、似て非なるリボルバーだった。とにかく安くて、隣町の玩具屋で買えるのはそれくらいだったのだ。

 当時の小学生が集められるモデルガンの情報というのはたかが知れていた。今のように初心者向けムック本はなかったし、専門誌は内容も価格も敷居が高かった。当然インターネットなんか影も形もなく、私にとっては漫画雑誌の表3に並ぶ小さなモノクロ写真を穴が開くほど眺め回すのが関の山だった。計算すれば丁度52年規制の後だったわけだが、それがなくとも黒くてリアルなモデルガンは手が届かなかっただろう。友達がお兄ちゃんに内緒で持ち出した、銃口の開いている黒い金属製のピースメーカーがとても羨ましかった。別の友達はお父さんの物だというブローニングM1910の銃口に粘土を詰めて火薬で飛ばしたりしていた。私は男の兄弟はいないし、父にモデルガン趣味などなく、張り合わせプラでできたペチペチとペレット弾を叩き飛ばす奴が自分のガンだった。

 それが金属製モデルガンに昇格したのは、遊びに来ていた従姉妹がたまたまその「ペチペチ」を壊してしまったからだった。叔母が代わりの物を買ってくれるということになったのだ。自分にしてみれば都合の良い話なので従姉妹には何か申し訳ない気がして、いまだにマルゴー・コブラと一緒にそのことを思い出す。


読書 角田光代「太陽と毒ぐも」文春文庫

致命的な何かを抱える男女の短編集。全部破綻するのかと暗い気持ちになった(笑)。でも致命的な何かを抱えている人は多いからなぁ。自分もそうだという気がするが現状では結婚13年目で2児の父。現状なんだけど。


小隊司令部発

「栴檀林小隊」サイト各コンテンツの更新とは別に、概ね2~5日毎に更新中。 バックナンバーはブログ以外にも「公文書」でどうぞ。