オリジナル・カクテル2007年08月10日

 一人でバーを呑み歩く奴はカクテルの蘊蓄でもつまみに呑んでいるのだろう、と揶揄されることがあるが、私はあまり面倒臭いレシピのものは頼まない。若い時は色々試したし、生意気盛りはレシピを覚えて面倒な物をわざわざ頼んでみたりもした。

 しかしここ十数年は、馴染みの店ではロックスタイルでウオツカを割る物の名前しか言わない。「ディタで」とか「イエガー(マイスター)で」とか。

 ちなみに「カルーアで」を頼むようなら、それには「ブラックルシアン」という名前が既にあるのでそう頼めば良いが、他の物には名前がない。しかし「イエガーで」で済むのでそれで頼んでしまう。実際ある店のバーテンと何か名前を考えたのだが結局定着しなかった。

 例外的に定着した物もあった。何かしら原型のある場合である。

 「アフターミッドナイト」はウオツカベースでクレームドカカオのホワイトとジェットのグリーンを使うカクテルだ。しかしwalk in bar MODでは数年前からカカオはブラウンしか置かなくなったので、これで作ると色が薄いグリーンではなくオリーブドラブの様になる。なのでこれは「迷彩色」と呼ぶことになった。確か命名はバーテンI君だった。

 最近は「ウオツカ・マティーニ」を無性に呑みたくなることが多かったのだが、オーセンティックバーでもない店でいちいちあの手間を掛けて貰うというのが、頼む側のくせに煩わしい。正確にはオリーブをつまみにウオツカを呑みたいだけなのだが。bar black lungではビルトでオリーブは別添えにして貰った。ウオツカマティーニが見た目別の物に偽装したようなカクテルなので「スコルツェニー」*にした。しかし響きが気取っており、自分で付けた名前だけに頼む時ついつい照れてしまう。

 この2種に関しては、私以外の方が注文しても店主がいれば、出てくるだろう。


「スコルツェニー」フリーザーから出したてのウオツカにベルモット。その後の杯数予定から、弾が何発かを概ね決める。

*オットー・スコルツェニー:第二次大戦「バルジの戦い」で米軍に偽装して後方攪乱を図った「グライフ作戦」で有名な独の武装親衛隊将校。

読書 重松清・渡辺考「最後の言葉 戦場に遺された二十四万字の届かなかった手紙」 講談社文庫

<大きな言葉/小さな言葉>から始まる“言葉の旅”。大本営発表などの<大きな言葉>と、前線の日記の中で兵士がふと漏らす<小さな言葉>。歴史は<大きな言葉>に動かされるが、私達の心は<小さな言葉>で綴られている。私が子供の頃から聞かされていた戦争も、考えてみれば多くは<小さな言葉>であった様に思う。しかしこの本の後半、兵士達の日記を読んだ現代の若者が、肝心と思われる部分が「わからない」と言う。「『この地で苦しむことによってご恩返しをします』ってあるけど、どういう意味?」。<大きな言葉>の意味も知らなければ、戦争を知ったことにはならないという事だと思う。自分達の受けてきた教育は、やもすれば自虐的歴史観というバイアスの掛かったものであったり「正しさ」に欠けると常々考えてきたが、もっと大きいのはこの<大きな言葉>に対する理解の不足であるようにも思えた。大陸や半島からあれこれ言われようが、「なぜ(したか)」を学ぶ前に「なに(をしたか)」を認識はせんだろうと思う。それこそまず「教育勅語」について学ぶべきではないか?


小隊司令部発

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