美人薄命 ― 2009年03月05日
手垢が付き過ぎて形骸化した四字熟語は多いが、「美人薄命」はその典型ではないだろうか。大体が使うシチュエーションが陳腐だ。せいぜい芸能人の急逝に取って付けた様に用いられる程度という気がする。
ある夜いつものバーで、何の流れでかこの四字熟語の話になった。さてこれの語源は何だろうかと。
「昔から、儚げなタイプの女性が美しいと見られてたってことじゃない」
「美しいままに死んだ方が良いって意味では?」
「えーっ、非道い〜!」
「美人だといろんなトラブルに巻き込まれる確率が高まるって話じゃないかな」と私。
その場で正解が出るわけでもなし、その話はそれまで。そして忘れかけた頃に思い立って調べてみた次第。
この四字熟語は、北宋の詩人・蘇軾の「薄命佳人詩」が原典と言われる。その一節に「自古佳人多薄命(いにしえより佳人は薄命であることが多い)」とある。
ただしこの詩で佳人(美人)は尼僧のことを指しており、前段に「無限間愁総未知(この世の限りない愁いも、全て知らずにいる)」とあり、最後は「閉門春尽楊花落(門を閉じたまま春は尽きて楊花も落ちる)」となっている。
つまり詩自体は「誰にも愛でられず散る美しい花の悲運を憂う」という詩であり、従って自説の「美人は多難」は本来の意味のむしろ逆であるし、皆に愛され惜しまれつつ逝く美女に使うというのも本来の意味上は違うという気もする。辞書上の意味としては間違いにはならないが。
ちなみに「薄命」は短命の意味ではなく、運命に恵まれないことという。なら「薄運/不運」が適当ではないかと思うのは、同じ漢字を使いながらも意味が違うので、心情的なことだけで分かり合える気でいると痛い目に遭うという、日中関係のジレンマを忘れている。
ところで、何かしらの芯がない外見のみの美人というものは、無闇に周りからちやほやされてスポイルされることが多いように思う。その意味では「美人多難」であり「佳人薄命」と言える。
参考 中国旅游ノート「薄命佳人」ほか |
 今週の読書 藤堂志津子「情夫」幻冬舎文庫
私は最近女性作家ばかり読んでいる気がするが、これは同世代の女性向きという気がする。共感の有無とかそういうのと違う次元で、あまり面白くなかった。 |
 今週の読書 井上荒野「ズームーデイズ」小学館文庫
井上荒野にしては出始めからげんなりする部分があり、私小説的に過ぎるところやいちいち回顧調な書き様にもげんなりし、結果としてあまり宜しくない感じだった。 |
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