携帯の意義2006年10月03日

 朝、通学路の途中まで送った娘と別れて100m程歩いてから、携帯電話を持っていないことに気付いた。

 取りに引き返したら多分30分以上の遅れ。そのことよりも、なるべく早く社内で処理したい仕事があったし、携帯電話でないと上手く連携できない様な仕事は幸いなさそうな日だったので、そのまま出社することにした。

 まず困ったのは時間がわからないことだが、駅に停車する度に時計はあるのでそれを見た。暇つぶしは文庫があるし、座れればiBookもあるので全然問題ない。何だったらぼおっとしていても良い。

 出社すると、とりあえずH嬢に口頭で、妻にはメールで携帯の不携帯を告げる。妻からは「弁当忘れなかっただけ良しとしよう」と返信があった。そうだ、弁当は持って来た。

 自他共に認めるオンライン人間なのだが、根本のところではどうでも良いやと思っているふしもあり、またそれなりのセーフ策も組んでいるので、意外に不便はないのである。

 携帯アドレス宛てのみのメールというのは基本的にない。仕事関係は全て転送だし、親しい相手は携帯宛にはメールを寄こさない。それから“外”の知り合いはフリーアドレスからの転送になっている。携帯アドレスを直接教えている相手はほとんどいないことに気付く。社内は携帯の電波が入りにくいので、環境としてはそれと大差はない。

 それにしても周りを見渡すと、みんな携帯をいじっているのが目に入る。メールを打ったり読んだり、あるいはゲームをしたり。この私より依存症じゃないかと妙な立場からおかしく思う。

 夕方になってくるとさすがに少々不安に思い、携帯宛に電話を寄こしそうな得意に電話を入れてみる。わざわざ携帯忘れたんですよと言うのも馬鹿らしいが、それが笑い話になる相手には言ってみる。

 一番不便だったのは酒場に行ってからだ。何せ腕時計を持っていない。そして酒場という場所は、基本的に時計を置かない場所だからだ。落ち着かないので早く帰ることにした。

読書 三浦しをん「月魚」 角川文庫

 他の三浦しをんを読まずにこれを読んだかどうかは怪しい。読んでみたら悪くはないんだが、文章の力を別としてストーリーだけ見るとちょっとこれは“C”文庫系かとも思う。いや、読んで悪くはなかったのだから文句を言う筋合いではないのだが。


小隊司令部発

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