なぜG21なんだ?(序編)2008年12月11日

 グロックはいいが、なぜG21なんだ? そう思ったのは私だけだろうか。45口径位なければ8mm弾仕様で出す理由がないのだろう。そのくせ後続のGM系はわざわざ6mm弾仕様だし、同じグロックでもG21とはフレームもスライドも互換性がないはずのG19とG18も6mmで発売予定。内部が迷走しているのではないか?

 ともあれ新製品。しかもグロックで、なんとガスBLKである。そしてライブカートなのである。喜ぶ要素の順番が間違っているか。

 この数年のマルシンは、異様なスピードでマイナーメジャー混合の新製品を繰り出してくる。最大手・東京マルイですら敵わない。通常は、高額な型代を消却するため1種出してもしばらくバリエーション展開をするものだと思っていたが、何か素晴らしい裏技でもあるのだろうか。

 その一方で、独自規格の弾を普及させるためにこんなことをしているのかと穿った見方もできなくはない。しかしインクカートリッジ代で儲けるプリンタと違って、弾で儲かる訳ではないはずだが。

 トイガンメーカーには明確な方向性が必要だというのが私の持論。でなければ同じ形で同じ機能の物を各社模型化したところで何の意味もない食い合いになる。その意味でマルシンはいくつかの明確な方向性を持っている。

 トイガンという物はリアルではいけない。しかし、リアルでなくてはならない。トイガンの抱える永遠のジレンマなのだが、そもそもトイガンにとっての「リアル」とは何だろうか。タナカ・カシオペアの件があったばかりでもあり、どうしてもナーバスになる。と言っても、このマルシン製G21は何をどうやっても法律に触れる意味でのリアルさはない。この銃の「リアル」とは、アクションのリアルさである。空薬莢の舞うガスガンこそマルシン工業が求め続けているリアルの方向性の一つである。

 という訳で、ブツが予定通り届いたのでインプレッションは週明けか。相変わらず長い前振りでご免(苦笑)。


忙しい日に限って心待ちにしていた物が届く。いや、仕事してますよ。してますって。

読書 トルーマン・カポーティ著/村上春樹訳「ティファニーで朝食を」新潮文庫

 体質の問題だろうが、翻訳文というのが耐えられない。きちんとした訳者は勿論いるのだろうが、判断ができない。だから「海外文学」の棚にはまず近付かない。近年一番酷かったのは戯れに読んだ図書館蔵書の「ふたりのロッテ」。死ぬかと思った。子供を危険な目に遭わせてはならないと感じた。
 そんな私だが、敬愛する村上春樹の訳でよもやこれを読めるとは。しかし予想通り我々の親しんでいるあの映画とは、そもそも原作自体が遠い物だった。
 アメリカ文学にはある種埃臭い椅子の様なイメージを抱いていたが、本書に於いてもそれは基本的に同じだった。初めてのアメリカ文学がナボコフ「ロリータ」である私ではあるが。
 むしろ一緒に収録されている短編の方が楽しめた。評の様には、私はホリー・ゴライトリーの奔放さに好感を抱けなかった。勿論私は、そういう奔放さに目を細めるほどには年を食ってはいるのだが。


小隊司令部発

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