遙かなる珍々亭への想い ― 2011年12月06日
生活の中で自転車に乗る事が多くなり変わったものの一つが距離感である。徒歩ともクルマとも異なる。4〜5km歩くのは結構な距離感だが、自転車では10分程度。あっという間だ。![]() そんなこんなで週末が近付くと油そばのことをつい考えてしまう。勢い街中でもつい油そばを探してしまうのだった。想い人のことで頭が一杯だとつい街中でも似た女性を目で追ってしまうという、あれみたいなものである。そしてその満たされぬ想いを充たそうとする余り、自分の想うのとは違う人と付き合ってしまい、その人も、自分も傷つける結果になってしまうのだ。誰もがあの娘は素敵だねと言うのに、何か気取ってお高い感じがして厭な印象を抱いてしまう。気取りのない良い娘だと評判なのに、そこをがさつに感じてしまう。ええ、まあ、ここで私が書いているのは油そばの話なんだが。 更に困ったことに、そうして想いを募らせていくと、気持ちの純粋さと強さが舵を狂わせてしまい、身勝手なバイアスが掛った虚像を思い描くというパターンに陥りがちだ。暫く口にしていないあの珍々亭の油そばは、いや果たして斯様に崇高な食べ物であったか? もっと朗らかで優しい存在であったのではなかろうか。 同じ武蔵野の空の下にありながら、しかし珍々亭への距離感は日毎大きな隔たりとなって感じられていくのだった。 |
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![]() Bグルな方たちの間で有名な中華屋で、コチラの方の思い出の店でもある。近くにありながら実は一度も入ったことがなかった。常に行列が出来ているからだ。それがある土曜の午後、スカッと空いていたのである。飛び込んで頼むはもちろん宝そば。この店流の油そばである。刻みネギとカイワレ山盛り(共に苦手なのだが…)のワイルドさだが、タレ自体は上品で、ちょっと少なめのスープといった趣である。 |
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![]() 通称ウラ油。何かアングラな印象を受けるが、単に珍々亭の裏手にあるのだ。Bグル系サイトでは珍々亭と共に武蔵野の油そば文化を育てたみたいに書いている所もあったが、多分食べたことがないのだろう。学生の頃の記憶と違う物だったが、「あれと違ってこれも駄目」だった。細麺が湯切れてなくべた付いて、タレも妙に素の醤油っぽい。効いてるという程のゴマ油感もなく。こんなだったかなぁ…。 |
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![]() とうとう大手チェーンの日高屋までもが、期間限定と銘打ちながらも油そばをメニュー化した。呑み明かした朝の歌舞伎町で空腹を満たすべく活躍してくれるのかと思いきや、激しく残念な感じ。店が店だから、いつでも安く食べられるならそれで良いやと思ったが、油そばとしてはこの値段は安かないしな。麺は共用でタレも何だかなと。別添え温玉なんか付けてる場合じゃないだろうに。 |
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