2013年07月31日

 中学生の頃の自分は早く大人になりたいと思っていた。大人になれば、その時自分の直面していた様な“下らない問題”は自動的に解決されると信じていたからだ。ところが大人になってみるとどうだろう。何も解決はしない。実のところ、問題の種類がちょっと変わった程度の事で、体感的分量は変わらない。やれやれだ。その様に感じ始めたのは30過ぎ辺りだったが、しかし未解決のまま、私はあと半年も経てば47である。今更なんだかなという話なのだが。

 中学生と言えば、私が32の時に授かった娘がいま中学生最後の年である。中学時代というのは、とっくに自分の話じゃないどころか、自分の子供の話ですらなくなる。テニス部の副部長でキャプテンだが引退なのだそうな。毎日夜遅くまでネットでももクロの動画ばかり観ていたくせに試験期間はPCのスイッチも入れずに勉強してたんだそうだ。それは私の娘であって私じゃないし、娘にとっても過去になる。

 週末、居間から庭に出ると暫く動けなくなる。何だこの庭。沢山の庭木、大きな家。心中何を思っているか分からないが家事全般しっかりこなす妻。可愛い二人の娘。「これは俺じゃない!」と叫んでいる気がするが、実際には叫ばない。今はもう80年代ではないし、誰もデビッド・バーンの歌声を思い浮かべたりしないからだ。

 休日の夕方にテラスの段に腰掛けてビールを呑みながら庭を眺める。よく考えたら私はしょっちゅうそういう自分を描写している気もするし、ツイッターを始めてからはまさにそういうのを画像付きでツイートする事が多い。何とも優雅で贅沢な印象を客観的には受けるだろうし、そうありたい。

 しかしそこで私が考えている事は30過ぎ辺りから今まで変わらない。これは俺の家? これは俺の家族? いつまでそうなのかも分からない。これは俺じゃないんじゃないか?





読書 平松洋子(画・谷口ジロー)「サンドウィッチは銀座で」
文春文庫

いわゆる食の随筆で、ジャンルとしては興味ないが向学のため(笑)。挿絵(というよりまんまコマだが)が谷口さんなのに経歴に「孤独のグルメ」を載せない大人の事情とは?


小隊司令部発

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