オマエモナー ― 2016年06月29日
列車の車両間のドアには、おそらく統一規格と言える程のものはなくて、各社がそれぞれの規範に則り、いやあるいはその時の上長の好みに従って設計されているのだろうと思う。尤も自分には電車の車両設計に関する造詣と言えるものは全くないので(多分大概の人には、ない)、これは全くの当てずっぽうだ。しかし多分間違いはないだろう。 車両間のドアの脇の席に座り、ドアが開け閉めされるのを眺めながらそんな事を考えていた。 しかし思うのだが、ここを行き来する人の目的は何なのだろう。これが長距離を走る列車や、間にグリーン車が挟まった列車だったりすれば分からなくもないが、山手線なのだ。どうせ2-3分で次の駅に着くのだし、車内は大抵通り抜けにくい程度には混んでいる。わざわざそこを通り抜けねばならないほどの理由は何だろうか。 だが理由はともかく、彼らをカテゴライズするのは意味がないだろう。それ程に、見ていると様々な人がいる。 目的地を目指し颯爽と通りぬける人。これは一番少ない。多いのは、隣の車両に移れば何となく快適な環境があるのだろうなぁという漠然とした思いだけでふらふら移動する人。そしてドア越しに隣の車両の席の空き具合を確かめながら移動する人。様々だ。 だが、通り過ぎた後に手でドアを閉めるかどうかは、どのタイプかということとは関係ないらしい。これ誰か統計取っていないかな。いないか。 開けっ放しで通り過ぎる人は勿論無神経なのだが、無神経そうな人(例えば肩掛けカバンをぶらぶらさせて人に当てても気にしていない様な人)でもドアを閉める人は閉める。 こういう様々な人たちでも、障害は共通している。それはドアに寄っ掛かったまま周りを気にしていない人の存在だ。そしてそういう人だけは例外なく無神経だと言える。 いやしかし都心の電車にはいろんな人が乗っているなぁ。 |
今週の読書三浦しをん「むかしのはなし」幻冬舎文庫
久しぶりの三浦しをん。昔話をモチーフとした7編からなる短編集。と言ってもそこに気をとられると肝心なところを読み漏らすかもと思っていると途中で話が繋がっていて、しかも意外な背景が現れてくる。ちなみにBLぽいのは少なかった(笑)。 |
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