いつか読んだ本2016年12月25日

 毎年、私は12月も半ばを過ぎてから翌年の手帳を買う。何の変哲も無い「能率手帳」というやつだ。数年前に横文字のブランド名に変わったが、中身は相変わらずだった。相変わらずでなくなって貰っては困る。手帳とはそういう物だろうし。得意先の入っているビルの商業区画にある文具屋で買った。昨年もそうだった気がする。

 その文房具屋は本屋と繋がっていて、数年前に大改装して区画が変わったものの、それ自体は変わらなかった。ただ、文庫本の区画が微妙に不便な位置になり、陳列もあまり趣味に合わなくなった。

 久し振りに何か読むかと文庫本区画に向かうが、自分の読んでいた作家の名前が思い浮かばない。暫く本を読む習慣自体から遠くなっていたせいかもと思ったが、良く考えたら前からそうだった。ふらりと立ち寄った本屋の書棚から作家名で本を探そうとすると、なぜか一人も作家の名前が思い浮かばない。だから逆に、まず知っている作家の名前を書棚に探すという、何とも妙な状況になる。

 結果、3冊の文庫を買った。いずれも以前に続けて何冊も読んでいた作家ばかりだった。物凄く読みたい作品という訳ではないが、おそらく間違いはないだろう、という選択基準である。

 そんな買い方だからか、事務所の机上に3日位放置してしまった。いかんな、久し振りに読書をするつもりで買ったのに。1冊を鞄に入れて帰路に就く事にした。

 読み始めて10分、中央線で神田を出てまだ四谷にも着かない辺りでのことだった。じわじわと変な違和感に身を包まれる感じになる。

 読んだことのある本だった。

 空気とディティールに覚えがある。だがしかしストーリーは忘れている。なんだこれ。いつ読んだのかは当然覚えていない。(後で本欄を検索したが記録されていなかった)

 しかしこうして考えると、読んだのを忘れている蔵書を読み返せば、新しい本は買わなくても良いのじゃないだろうか。

小隊司令部発

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