読み聞かせ会、中止2008年10月09日

 午前6時30分、電話が鳴る。

 目覚ましかと一瞬思うが勿論音が違う。通常こんな時間に電話を掛けてくる人間はいないのだが、しかし今日は思い当たることがある。

 誰が、というのは予想と違ったが、用件は同じだった。娘のクラスの保護者委員ではなく担任の教師からの電話だったが、用件は、今週末の運動会に備えての練習のため、今朝に予定されていた保護者による読み聞かせ会は中止ということだった。

 電話を取った妻が話しながら用件を私に伝えると、「なんだそれっ」と声が出る。寝起きの悪い娘が珍しくしっかりと目を覚まして話を聞いていたが、顔を顰めてひそひそ声で「やめてよ」と私に言う。聞こえるように言ったのが分かっているのだろう。

 保護者による読み聞かせ会の趣旨に異を唱えるつもりはない。朝の15分ほどの時間、持ち回りで読み聞かせをする。誰のお母さんだろう。どんなお話だろう。子供達は期待にそわそわしながらこのイベントを待っているだろう。

 しかし、全員参加でやる様な行事なのか? 有志を募れば良い話なのではないか? 少なくとも共働き家庭の親が、前日までに仕事の調整を細々として、数日前に会社に遅刻届を出してまで行う必要のあることとは到底思えない。“朝の時間を自分の裁量一つで調整できる立場の人間”だけが参加すればいいだろう。そうでないなら推進者はいっそのこと「お父さんの読み聞かせ会」とでもして企画したらどうか。私が発案するつもりは全くない。そんな馬鹿なことを言い出せば吊し上げ確定だろう。しかし現実にはそれと同等の発案が罷り通っているのである。

 そもそもが、小4ともなれば大抵の文字は読めるのだ。文章の理解度は、聞くと読むでは大違いである。しかも素人の他人が読み聞かせかよ。

 そこへのアンチテーゼも含め、下記の本を選んだ。分量が少ないとはいえ難しい文章であるが、万全の練習で、間違えないのは当然として抑揚や間合いを含め自分なりに及第レベルまで持って行っていた。

 全くリソースの無駄遣いなんだよ。

 
読書 坂口安吾「風と光と二十歳の私と」(抜粋版)
齋藤孝「理想の国語教科書」文藝春秋 より

練習の期間を考えると「今週の」ではないんだが。ちなみに本としては再読になる。一昨年の読み聞かせ会では太宰治の「走れメロス」を読んだ。


小隊司令部発

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