蕎麦2008年10月08日

 ついこの間まで、なぜか鴨セイロばかりが無性に食べたくなっていたが、その名残でか今も何かというとつい蕎麦屋に寄ってしまう。喰いたいのは鴨でなくてもやはりセイロなのだが、深夜にそれだけも何かなと思い酒を頼む。さすがにビールは合わないから焼酎か日本酒。しかしこれが、蕎麦が思いの外早く茹で上がり、半分も呑み進まないうちにセイロは出てきてしまう。どうにも格好が付かない。

 「つまみも頼まず呑むからだよ」

 と妻が呆れた様に言う。藤沢周、ではなくて藤沢周平や池波正太郎をよく読んでいる時代物が好きな妻からすれば、無様な蕎麦の喰い方だろう。「蕎麦を手繰る」だなんて粋なものではない。

 辛口の日本酒に、板わさ? いやカマボコ好きじゃないしな。ぬき(蕎麦抜きの汁だけ)で掻き揚げなんて辺りなら良いが、これではその後に蕎麦を喰わない気がする。

 しかしこの歳で馴染みのない作法を実践するのも面倒だしと少し思う。ついこの間からモルトを呑み始めた身としては実感として。

 深夜の蕎麦屋はやめるか。

 「だから、早く帰って来なよ」

 このところ昼飯も、考えるのが面倒になると決まって蕎麦かうどんという案配である。以前にも書いたが、食べ物にあまり執着のない私は、昼に何を食べるか全然決まらないことがある。

 ところで深夜に蕎麦屋と言うと、今までは立ち喰いだった。歌舞伎町で“遅い時間”まで呑むとたいがい職安通りの立ち喰いに寄る。だもので、深夜番のおばちゃんにはすっかり顔を覚えられている。立ち寄るのが“酷い時間”だと「遅いねぇ。今日は休みかい」と言われたりするのだ。この店で呑めれば適当に帰れるんだけど、チェーンの立ち喰い蕎麦屋では無理な話か。そういう話ではなくて?

 随分呑む割には私がそれほど太らないのは、自転車のおかげと言うより、元々空酒が多くあまり呑みながらは食べないから。しかしこの蕎麦癖が付いてひと月余り経ち、胴回りが少々気になるのであった。

 
読書 藤沢 周「刺青」河出文庫(再読)

藤沢作品ほど嗅覚を刺激する小説はないと思うが、この作品で特に強くそれを感じた。自分の読んだ順、というのはあっさりやめて、出版社別・出版順ということにしたんだが、それにしても“藤沢周月間”そろそろ辛くなってきましたよ(苦笑)。


小隊司令部発

本欄はサイト内の各コンテンツの更新とは別に、概ね2〜5日毎に更新中。バックナンバーは「公文書」でもどうぞ。ブログ部分は「人気ブログランキング」に自転車カテゴリーで参加中。ワンクリックのご協力を。