ながら吸い2008年02月18日

 私は喫煙者だが、吸う本数は少ない。日に5本から多くても10本程度。事務所のベランダか酒場でしか吸わないので、連休があると1週間くらい吸わないこともある。だからという訳でもないが、禁煙をしたことがない。

 このご時勢なので喫煙者の肩身は狭いが、殊更に狭く感じている喫煙者にはほとんど病気の様相を呈している方もあり可哀想にすら見える。しかし一方で大半は同情の必要もない無神経な人の様である。道端に点々と捨てられた吸い殻を見掛けると、ああ、こういう人達は立ち小便もするだろうし、人前で痰も吐くだろうし、のど飴の包み紙をポケットに入れたりなんぞはしないんだろうなと想像する。いや、今回はそういう話を書くつもりではなかった。

 私が暫く喫茶店員をしていた頃、いくつかした失敗の中でも割合記憶に残る失敗がある。

 いかにもアパレル系の店員である若い女が、アイドルタイムにサンドウィッチセットを頼んだ。この時間にオーダーされるフードメニューの多くは、その使命を全うできないことが多い。特に若い女性が頼んだ場合はそういうことが多い。例によって半分ほど手を付けたところで女は趣味の悪いモノグラム柄のケースに入れた煙草を取り出し火を付けた。私は気を利かせたつもりで歩み寄り、「お下げして宜しいですか」と訊ねたが、女は街頭のキャッチセールスでも見下すような目つきで一瞥して「まだ終わってませんけど?」と吐き捨てるように言った。私は「失礼しました」とだけ言って下がったが、台詞の“吹き出し”がそのままそこに残ってしまった様になった。若い自分はそれでも舌打ちを心の中だけに納めたが、あれはどういう流儀なんだろうか。私は別にグルメでも何でもないし、何とか主義的な食事の採り方もしていないが、単純に、飯を喰いながら煙草は吸わんものだろうと思うが。

 ちなみに酒場では呑みながら吸う。禁煙のバーなんて気持ち悪くて入る気にもならない。だからBBL(Bar Black Lung=“黒い肺酒場”)に通っているという訳ではないが。



一箱吸い切らず酒場近くでまた買うので、自宅と職場に半端な箱が山となる。

読書 東野圭吾「手紙」文春文庫

妻のお薦めにて。少年の不幸な結末が…って、重松の「疾走」と混同しながら読んでしまった(苦笑)。映画版はバンドでなくて“お笑い”になっているのと地味であることに意味のあるヒロインが沢尻エリカというのが激しく違和感。


小隊司令部発

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