昔の女2009年01月19日

 邪魔だなという気持ちはあったが、放っておくのは惜しいという狡い思いもうっすらとではあるが常にあった。

 やめた原因は、結局は自身に不都合があったからではなかったので、余計に何か“残念な気持ち”が残ってしまったのではないかと考えた。

 交換したPowerBookのバッテリは袖机の上に他の物と重ねてあり、平生は忘れているのだが、何かを探し出そうとすると妙に密度を感じる質感でもってその存在を主張するのだった。

 ちょっと使ってみようかと思い立ったのは、特にきっかけもない事だったが、私は古い方のバッテリを装着して使ってみた。

 なんだ、やっぱり何の問題もないじゃないか。今までと全く変わらずーいや、その言い方は正しくないー以前と全く変わらず快適ではないか。しばらくはそう思えた。

 しかし、いつになく立て込んだ作業を出先で行う必要が生じた時、それは突然起きた。

 [現在予備電力で動作しています]

 ほとんど残量を意識せず使ってはいたが、そこはクルマのメーター類と同様に視界の片隅では常にバッテリ残量の確認をしていた。だから四十数パーセントの残量があったはずのPowerBookのそのアラートは本当に突然の事だった。

 すぐに開いている書類を保存してPowerBookを閉じたが、しばらくの間、私は「なぜなんだ?」という思いで頭が一杯になった。

 冷静に考えれば、中古で購入した数年落ちのノートパソコンに付属していたバッテリなどそういうものなのではあるが、しばらく私はそういう事に遭遇しておらず、そういう事への耐性というものが全く失われていた様だった。

 大概のものは少し離れてしまうと美しく見えるのだとよく言うが、使いかけのバッテリは使いかけのバッテリである。何やってんだか、もっとしっかりしないと。

 何かの例え話ではないかというのは勘ぐり過ぎと普通は言われるかも知れないが、今回は、いや本欄ではそうでもないのであった。


読書 吉田秋生「櫻の園」白泉社文庫

昨年末にS女史より誕生日プレゼントとしていただく。初めて読んだのは高校生の頃だったか。捜せば単行本がどこかにあるはずである。当時の私は女の子というのはこういうものだと、この本から教わったような気がするが、そういえばこの本は女子校に通っていた彼女から薦められて読んだのだった。


小隊司令部発

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