しかたのない飲酒2009年04月03日

 歳を喰うと、周りの人間に気を遣われるようになる。日本の社会は基本的にそう出来ている。だから、気を遣われているなと感じることと、歳を取ったなというのは同義である気がする。

 いつものバーに入ると、薄暗い店内には数人の客がカウンターにいるのだけれど、バックバーの灯りで顔は見えない。でも相手のリアクションで何となく知った相手ではあるのだろうと、適当な言葉を掛けて“定位置”の辺りに向かう。すると果たしてその場所は空いているのである。店内奥の、カウンターの左端が私の定位置である。

「そこが空いていても座りにくいんですよ。Sさん来るかと思ってさ」。

 いや待てよ、そう言ったHさんは同い歳だった。全然歳のせいじゃないじゃないか。

 ところで、井上荒野の小説を読んでふと気がついたのだが(そしてそれは作品そのものとは全く関係ないのだが)、自分が酒ばかり呑んでいるのは、それが「しかたのない」ことだからなのではないか。

 気取って自分を作ってみても酔ってしまえば、大して洗練されてもいない、クレバーなわけでもない、誰かに強い感銘を与える言葉を選べるわけでもない、傍にいるだけで安らかな気持ちにしてあげられるわけでもない、そういう自分であることを自ら気付かされることになる。

 勿論、呑んでいなくたって、そういう様に作った自分を維持できる人間などそういる訳ではない。呑めば簡単に作った物が役に立たなくなるという意味である。「しかたのない」自分が出てしまうという意味である。そういうのと向き合うということである。

 どちらかと言えば、それ程酒が弱い方でもないのだが、しかし最近は寝てしまうことが多くなった。歳のせいだろうか。すぐに酒に呑まれる。「呑まれる人はお酒は呑まないでください」と妻にはよく言われる。

 言うまでもなく気を遣ってのことではない。


読書 井上荒野「誰よりも美しい妻」新潮文庫

確かに怠惰と言えば怠惰な話だな。この話のポイントは表題通り、主人公園子が「誰よりも美しい」ことにあるのではないだろうか。そうでなければ女性に無頓着な音楽家の夫や、その周辺の女達との関係は怠惰ではなくなる気がする。そう考えていたら筆者本人が後書きにそういう様なことを書いていた(苦笑)。


小隊司令部発

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