時期的なもの2012年06月23日

 時期的なものと思っていた焦燥感は確かにいつの間にか軽くなり、しかし消え去ったわけでないことは分かる。消えない“シミ”の様な、そんなものなのだろう。歳を追う毎に消えにくくなるのではないかと思うのは、歳を取ったためだろうな、多分。

 朝に目が覚めると独り病室にいる。病室という場所は、父や祖父母の見舞いで何度も見ているから具体的に覚えているはずなのだが、いざ自分がそこにいるとなると、何か抽象的な感じがしてしまう。他に誰もいない6人部屋というのもそれらしい。尤も個室だったら「嘘だな」と、すぐ思うはずだ。現実の病室でも、外の風景は充分嘘臭いというのに。

 やはり寝ている間に妻が来ており、着替えやら、タオルやら、そういうものが交換されている。本人はもういないが、気配だけが残っている。自宅の様な、そういう感じだ。

 それもそのはず、ここは自宅の部屋で、家族の気配だけが残り、自分だけが家にいるのだ。「何で病室なんだ?」と、自分の見た夢に“自問”する。最近読んだ小説で見た舞台設定だったからだろう。

 それは違う作家の作品2本で、しかし2本共に入院しているのは中年の男だった。但しどっちの話も主人公はその不倫相手の女の方で、そして男はどちらも死んでしまうのだった。「入院した不倫相手の男は病死する」と、言葉を整理するとそうなる。何かの定理の様だ。定理だと厭だな。別に自分に置き換える必要はないんだけど。

 そんな事を考えている内にまた病室で目覚める。妻は気配すらなく、暫くするとこっそりと愛人が見舞いに(あるいは最期の別れに)来るのではないかと思ったらドアがノックされて、見舞いには非常識なほど丈の短いスカートから長い脚を出した女が入ってくるのが見えた。そんな愛人は(いやどんな愛人も)覚えがないがと、しかし夢だしそれ位あっても良いかと思ったら…長女だった。

 それもあまり心配してる風でなく、見舞いのアイスを一人で食べて帰って行った。


の(?)読書
嶽本野ばら/角田光代/唯野未歩子/井上荒野/江國香織「彼の女たち」講談社文庫

角田光代「それもまたちいさな光」文春文庫

小隊司令部発

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