縁起でもない話2008年11月22日

 「見る人の居なくなった写真は取っておくことないでしょう」というのが母の言い様だった。

 亡くなった父が撮った写真なら母自身が見るのではないかと思ったが、写真好きで旅行好きの父が旅先で撮った膨大な写真を見るかといえば、それもないかと思う。建て替えの頃の話なので5年以上前の話だが、それでも処分し損ねた写真が我が家の納戸にはまだ何箱も眠っている。

 父が名の知れた写真家であったら違ったかといえば、きっと同じだろうと思う。そもそも誰の作であれ、高名な芸術家の作品などうちにはありはしない。そして思い出の品と言うにはあまりに量がありすぎる。

 写真だけでなく、多趣味であった父は数多くのがらくたを遺した。余程の物でない限りいちいち判断してもいられず、その大半は建て替えの際に処分してしまった。それに較べても例えば祖母が奉っていた怪しげな神棚の重要度は更に低く、取り壊す家に残した。解体屋の親父に、こういう物を粗末にするのは私はちょっと賛成できないんですがねと言われたが、適当な相槌を打ちつつ余計な世話だと思った事を覚えている。

 蒐集癖ということでは私はおそらく父以上で、旧いコンピューターや、玩具の銃器や、そういえば漫画本も結構な量が家のあちこちに眠っている。私が死んだら、あれらの物はどうして貰うのが適当だろうか。

 あるいは生前に整理しておいてくれというのが家人の気持ちだろうか。いくら私の愛した物達と言えど、二百数十挺のトイガンなどどうしようもなかろう。形見にして欲しいわけでは毛頭無い。うまく処分してくれることを望みたい。あれが全部不燃物では自分自身が情けないし、大袈裟に言えば日本のガンマニアにとって些細な損失である(些細な、ね)。以前なら平賀さんに全部託してしまえば良かったが(笑)、引退されて久しい。Kさんも現役引退気味だし、内藤さんぶたさんでも迷惑するだろう。

 あ、グロックは全部、Ryuさんお願いします(右欄参照)。


物置と化した我が書斎は多くの容積をこれらの物で埋められている。

読書 角田光代「さがしもの」新潮文庫

心情の表現がない藤沢作品に「〜と思った」という記述は少ないのだが、角田の「私は、ひ、と思う」とか「あああ、と私は思った」というのも記述としてはどんなもんだろうかとは思ったり。


小隊司令部発

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