たまにハードディスク内の無数にあるフォルダを開いてみたりする。そこには書きかけのテキストファイルが山とあったりする。それらを書き終えようという気にはならないが、かと言って消す気にもならずそのまま閉じてしまう。何かの思い付きで書き記した文章というのは、大抵その様な運命を辿る。希に引っ張り出して完成させてしまうこともあるが、希である。
何を思ったか昨年は掌編小説を書き続けていた。掲載は元々創作用のコンテンツ「出口、らしきもの」があったので良かったが、告知などをブログでやっている内に「これは“客層”が違うな」と思い始めて、わざわざ掌編小説発表用のブログを立ち上げたのだが、その途端にあまり書かなくなってしまい、今は開店休業状態である。
ものを作るというのは、仕事でなく趣味であっても、それは作り上げる力があってこそ成り立つ。だから冒頭の私の様にメモを書き散らしてる様なのは、小説を書いているとは到底言えない。組み上がらないプラモの山を作っているような物だ。情けない。創作者に必要なのは、センスやら何やらの前に生産力だと思う。
と、まあ、何をぐだぐだ書いているかというと、そうは言ってもちょっと前に書きかけていた2000字の掌編を仕上げたので、アップしたという告知なのである。向こうのブログはあまりに久しぶりの更新なので、トップにスポンサー広告が来ていてみっともない状態だった。こっちに告知書くくらいならこっちに載せれば良さそうなものだが。
8月が、月曜日から始まる事に違和感の様なものを覚える出だしなのは私だけだろうか。なにか追い立てられる様な気すらしてしまう。確かにやらねばならないことが(相変わらずだが)山積しているのではあるが。
「出口、らしきもの」BLOG版
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